リモートワーク環境におけるコミュニケーションの促進のため、あるいはメンバーの多様性への対応のため、コミュニケーションのローコンテクスト化が重要というのをよく耳にするようになりました。
ローコンテクストなコミュニケーション、ハイコンテクストなコミュニケーションについては、書籍「異文化理解力」において、国毎のグラデーションの視点から紹介されています。
ローコンテクストなコミュニケーションでは、話し手は明確で曖昧さがないように意図を伝えます。それにより、聞き手は行間を読んだり、想像したりといったことなしに話し手の意図を理解できると期待します。つまり、ローコンテクストなコミュニケーションでは話し手が言語化の責務を負うことで、聞き手が曖昧さに対処する負担を減らします。
ローコンテクストなコミュニケーションにおける言語化について、話し手の責務が大きいのは確かです。ただその一方で聞き手は全くの受け身で良いかというと、私はそうではないと思います。聞き手もまた能動的にコミュニケーションに参加し、言語化を一緒になって進めないと、話し手の意図を正確に理解できない場合があります。
それは何故でしょうか。
一つは、ローコンテクストといってもグラデーションがあることによります。ある聞き手は十分明確で曖昧さがないと受け取っていても、別の聞き手はまだまだハイコンテクスト過ぎて理解が及ばなかったり、あるいは誤った理解をしてしまい、伝える側が意図してない内容を受け取ってしまうことがあります。
そういったことを完全に避けることはできないので、受け取ったことを聞き手が自分の言葉にして、元の話の話し手や、他の聞き手と対話をしてみること、そこで曖昧さに気付いて問いを発することが、解決の糸口になります。
また、「明確に伝わるように最初からしっかり言語化しておいて欲しい」と聞き手は思うかもしれませんが、話し手が一方的に聞き手のことを想像して、曖昧さがないように伝えようとしても、完璧なコミュニケーションなんて存在しないので無理だし、無理なのを頑張ってその方向性を目指すことで、「ライト、ついてますか」の長くて読みきれないし逆に伝わらない標識のようになってしまうこともあります。
もし今が昼間でライトがついているなら
ライトを消せ
もし今暗くてライトが消えているなら
ライトをつけよ
もし今が昼間でライトが消えているなら…
ローコンテクストなコミュニケーションではシンプルさも求められるのですが、それを忘れて誤解がないようにという点に固執すると、逆に明確さが失われてしまうという例です。
この問題は、話し手だけにコミュニケーションの責任を負わせていることに起因していると思います。
話し手の方はある程度は聞き手のことを想像しつつ、明確に伝えるよう意識する。その一方で聞き手は、明確なコミュニケーションを話し手だけの責任にせず、わからないポイントを言語化して質問する。すると、わからないポイントに即した説明がもらえて、相互の共通コンテクストが構築されていく。そして共通のコンテクストの上で曖昧さのない明確なコミュニケーションが成立します。
ノーコンテクストではなく、ローコンテクストと言っているのは、グラデーションのことを双方が理解し、対話を通してコンテクストを共につくるということを含めてのことと思いました。話し手と聞き手の双方が敬意を持って対話することで、一緒に共通理解を増やしていけると素敵ですね。